弊店沿革
ひきなしや (江戸時代~明治初)
はじめ、「ひきなしや」と号しておりました。
呉服物の他、船、塩、醸造業等、あらゆる商品を取り扱っておりました。
山本商店・山本姉弟呉服店・山本兄弟呉服店 (明治中頃)
二代 力松翁 は店を事業部門ごとに致しました。
山本呉服店(明治末)
三代 佐太郎翁 は屋号を「山本呉服店」に統一致しました。
弊店のすぐ近く、黒滝山登山口(忠海町本通三丁目角) に、
忠海の廻船問屋 江戸屋(羽白家)の劇場「大黒座」がございました。
その昔、弊店は舞台の緞帳を誂え寄贈致しました。
袖には当時の屋号「山本兄弟呉服店」と記しておりました。
明治末。
江戸屋当主 羽白新七郎翁は、 佐太郎翁の家督継承の機に、緞帳の新調、別誂を注文します。
しかし、佐太郎翁は
「姉や弟との仲良き思い出。」
と、緞帳の袖は昔の屋号ままを残す様希望致しました。
羽白新七郎翁は、これを大層誉め、緞帳の袖はそのままに残す様、劇場に申し付けます。
その後、昭和30年代末、劇場が閉館されるまで変わらず飾られておりました。
この緞帳は、現在、その一部を弊店に保管しております。
山本呉服店(大正時代)
本店の表門東側に「石看板」がございます。
四代 太一郎翁がこれを残しました。
山本家の墓石を基に造られました。
当家の墓所は黒滝山の地蔵院にございます。
伊豫松山藩祐筆 竹内氏の揮毫と伝えらます。